流星ワゴン
本, 重松 清
によって 重松 清
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ファイルサイズ : 21.95 MB
商品説明 主人公の永田一雄の前に、1台のワゴン車が止まったことからこの物語は始まる。ワゴン車には橋本義明・健太親子が乗っており、彼らはなぜか永田の抱えている問題をよく知っていた。 永田の家庭は崩壊寸前。妻の美代子はテレクラで男と不倫を重ね、息子の広樹は中学受験に失敗し家庭内暴力をふるう。永田自身も会社からリストラされ、小遣いほしさに、ガンで余命いくばくもない父親を訪ねていくようになっていた。「死にたい」と漠然と考えていたとき、永田は橋本親子に出会ったのだ。橋本は彼に、自分たちは死者だと告げると、「たいせつな場所」へ連れて行くといった。そして、まるでタイムマシーンのように、永田を過去へといざなう。 小説の設定は、冒頭から荒唐無稽である。幽霊がクルマを運転し、主人公たちと会話する。ワゴン車は過去と現在とを自由に往来できるし、死に際の父親が主人公と同年齢で登場し、ともに行動したりするのだ。 過去にさかのぼるたびに、永田は美代子や広樹がつまづいてしまったきっかけを知ることになる。何とかしなければと思いながらも、2人にうまく救いの手を差し伸べられない永田。小説の非現実的な設定と比べて、永田と家族のすれ違いと衝突の様子は、いたくシビアで生々しい。 永田は時空を越えて、苦しみながらも毅然と家族の問題解決に体当たりしていく。その結果はけっきょくのところ、家族が置かれた状況のささいな改善にとどまるだけでしかない。それでも死にたがっていた男は、その現実をしっかりと認識し生きていこうとする。「僕たちはここから始めるしかない」という言葉を胸に刻んで。(文月 達) 内容紹介 家族小説の新境地。直木賞受賞後の初の長篇。 ひきこもり、暴力をふるう息子。浮気を重ねる妻。会社からはリストラ寸前……死を決意した37歳の僕は、死んだはずの父子が運転する不思議なワゴン車に乗り込んだ。 37歳・秋 「死んでもいい」と思っていた。 ある夜、不思議なワゴンに乗った。 そして――自分と同い歳の父と出逢った。 僕らは、友だちになれるだろうか? 28歳のときぼくは父親になり、父は「おじいちゃん」と呼ばれるようになった。親になってからの日々は、時間が重層的に流れる。小学5年生の長女を見ていると、小学5年生の頃の自分を思いだし、その頃の父のことも思い出す。少しずつ、昔の父のことがわかってきた。こどもの頃はあれほどおっかなかった太い腕が、じつは決して太くはなかったんだとも気づいた。長生きしてほしい、なんて口に出すのは嫌だから、ぼくは父親と家庭の物語を紡ぐ。――(重松清) 商品の説明をすべて表示する
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テレビドラマを観てから、原作のこの本を手に取った。主人公の子どもの中学受験の結果、死者となった別の父子の子どもの母親との再会、ラストシーンなど、感動的だった場面は、ビデオによるオリジナルだったようだ。原作は派手ではない。奇跡は起こらない。過去は変わらない。重い現実はなお続く。それでも、小さな希望をもって、ふたたび歩もうとする家族の物語。巻末の斎藤美奈子さんの解説には「父は息子のためを思いながらも彼の気持ちを本当には理解できず、息子の側も父にわだかまりを持っている」(p.472)とある。この小説に出てくる三組の父子だけではない。父とぼくもそうだし、ぼくと息子は、この真っ最中だ。どうしたらよいのか。「お父ちゃん、声にはならない。胸の奥で、言った。お父ちゃん、お父ちゃん、お父ちゃん……子どもの頃の呼び方が、『お父さん』に代わったころから、僕たちはうまくいかなくなった。『親父』をへて、『おじいちゃん』に代わった頃から、僕たちはうまくいかなくなった。『親父』をへて、『おじいちゃん』になって、それでも父は僕のことを最後まで『カズ』と呼びつつけていたのだった」(p.440)。ところが、劇中、自分が死んでいるのか生きているのかわからないカズのところに、これまた死んでいるのか生きているのかわからない父親が現れる。ふしぎなことにカズと同じ38歳。ふたりは「カズ」「チュウさん」と呼び合う。「お父ちゃん」でも「親父」でも「おじいちゃん」でもない。「どんなに仲の悪い親子でも、同い年で出会えたら、絶対に友だちになれるのにね」(p.444)。友達のような親子ね・・・。ちょっと、苦手だな。「チュウさん」。「さん」がつくと先輩後輩かな。父子よりは距離が近いかな。理解が増え、わだかまりが減るかな。
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