明治前期の災害対策法令 第一巻(一八六八ー一八七〇)本ダウンロード

明治前期の災害対策法令 第一巻(一八六八ー一八七〇)

, 井上 洋

によって 井上 洋
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内容紹介 明治初期、形成されつつあった政府は、災害にどう対応したか。『法令全書』より、1868年から70年までの災害対策法令(全111件)を発布順に配列し、詳細な注解を付す。災害対策に関する維新政府の基本姿勢と対応の詳細、法令の総体とその構造を摑むための基礎的資料。今日の防災行政の問題点を考える上でも示唆に富む、地道で貴重な研究の成果。本書では取り上げた各法令について、その性格を表す10種のラベルづけを行い、注解を施した。災害予防から罹災者の救援、さらに災害対策を担当する組織にいたるまで、多面的に記述し考察する。 出版社からのコメント 明治前期の政府が災害対策に関して何を為そうとしたか(あるいは何は為そうとしなかったか)を明らかにするための基礎資料。さらに序説の前半は、1961年災害対策基本法の制定過程と、それによって立ち上げられた仕組みの問題点を体系的に分析・叙述した初めての本格的な研究論文です。 商品の説明をすべて表示する
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「本書は、1868年から1870年までの3年間について、『法令全書』から災害対策に関係する法令をすべて抜き出し、発布順に配列して注解を付したもの」であり、同様のものを1885年まで編むことを企図しているうちの、第1巻に当たる。111件の法令に詳細な注釈を付け、全体で千ページを超える重量級の史料集だが、同時に、百ページ近い序説と、やはり百ページ近い小括には、この史料集を編んだ井上洋氏の災害対策観と歴史認識と、そして現状への批判が、控えめな口調ではあるが、確実な証拠をともなって語られる。価格も高いし、分厚いが、歴史研究者や災害研究者だけでなく、まずは、災害対策に当たる諸省庁や地方自治体の関係者にぜひ読んでもらいたいし、災害対策に関わる諸運動・団体や政党の方々にも読んでもらいたい。扱っているのは150年前のことだが、本書では、それほど強い力をもって、災害対策の現状に向き合おうとする井上氏の強い意志が、序説や小括だけでなく、ちょっとした注解の一文にも込められている。したがって、これは、災害対策を考える際の必読文献として、広く諸省庁や公共図書館に備えるべき文献であろう。本書を読まず、また、理解せずに、いい加減な「災害対策」を論じ、また実施し、「危機」を煽ることは、これ以上やめてもらいたいというのが、読了後の最大の感想である。井上洋氏は、たとえば、序説の第3節第(3)項で、「2011.3.11原発震災の危機」を論ずるが、そこでは、安易に「危機管理」や「緊急事態」などの語を用いるべきでないと警告する。1962年の水不足の際に、東京都水道局や科学技術庁は、荒唐無稽な自然改造案で、「異常な自然現象それ自体を人為によって管理するという発想」を唱えたのだが、井上氏によるなら、「これは我々のなすべきことではない。災害に対して我々がなすべきことは(そして我々にできること)は自然への畏敬の念を持ち、我々の領分である社会を強くすることである。我々の社会(国家や国土ではない)を強くするとは、我々ひとりひとりが自然の摂理と社会のあり方について知識と考察を深めることであり、そのようなひとりひとりの間の繋がりを多様かつ堅実なものしていくということである。発災後についても我々ができるのは、そしてなすべきなのは、社会の側の仕事、すなわち災害に対する応急対処(救助など)であり、これは危機(緊急事態)管理と呼ぶ必要はなく、災害応急対応とありのままに捉えるのがよい」。しかし、現実には「危機」や「緊急事態」を叫ぶことで、既得権益を守り、また新たな受益の機会を貪ろうとする者が後を絶たず発生する。本書は、この観点に貫かれている。それゆえ、原発震災の際に、「多くの人の健康と生活を破壊するおそれが差し迫っていること」に、どう対処するのかという《危機の捉え方①》とは別に、「原子力政策の推進をめぐって形作られてきた官産政学の利益共同体が維持できなくなる」という恐怖感(原子力政策の破綻の現実化)を危機と認識する《危機の捉え方②》が作用していたことが簡明に論じられる。明治初年の水害・長雨・冷夏をともなう農業災害に際しても、「餓死が危惧されるほどの農民の深刻な困窮と、困窮に陥った農民たちが一揆を結んで蜂起する」ことを恐れて租税減免や賑恤実施を唱えた大久保利通、広沢真臣や地方官たちの危機認識とは別に、「連年の災害が租税収入を減少させ、政府財政が立ちいかなくなる」ことを恐れて租税徴収の厳格化と救済抑制を唱え、それで農民騒擾が発生するなら軍事力で鎮圧すればよいとする、大隈重信や伊藤博文の危機認識もあったのだ。災害発生に際して、政府内部で立ち上がる危機認識は決して一様ではなく、複数の危機認識の間に対立がはらまれる可能性があることを、明治初年の災害対策法令を丹念に読み解いたことが本書の最大の貢献であろう。そこから、原発震災における政府内部で危機(ないし緊急事態)がどのようなものとして捉えられていたのかが、ただちに自明ではない(少なくとも二種類の危機認識があり、また災害が受益と致富の機会となる者もいる)以上、「危機管理」といった曖昧な言葉は使うべきではなく、「ことがらをより明瞭に表現した災害応急対応と呼び、その限りで行動すべきなのである」と井上氏は指摘する。これは、決して「防災」や「国土強靱化」といった言葉で語られてきた課題を全否定することにつながるわけではないが、そうした言葉を都合よく使って、既得権益を守り、私欲を追求しようとする「危機管理」・「緊急事態」論の危険性を暴き出すところに本書の強さが遺憾なく発揮されている。官僚諸賢には本書に正面から対峙し、そこから何かを学ぼうとする勇気を持ってもらいたい。本書は行政学者・行政史研究者から、いまの行政に突き付けられた挑戦状なのだ。

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