核の脅威: 原子力時代についての徹底的考察 (叢書・ウニベルシタス)
本, ギュンター アンダース
によって ギュンター アンダース
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内容紹介 広島、長崎、第五福竜丸、そして、福島──われわれはいま何を考えるべきか? 日本で反核運動に参加したアンダースは、「日本では原子力時代はすでに〈経験〉になっている」と語った。われわれは自らのこの生きた経験から、核の脅威を、核兵器使用や原子力発電の問題にとどめず、いまあらたに世界全体を巻き込んでいる全体主義の問題としても受け止めねばならない。絶望することなく、いかにして世界への希望や信頼を失わずにいられるのか。その徹底的な考察がここにある。 内容(「BOOK」データベースより) 広島、長崎、第五福竜丸、そして、福島―われわれはいま何を考えるべきか?日本で反核運動に参加したアンダースは、「日本では原子力時代はすでに“経験”になっている」と語った。われわれは自らのこの生きた経験から、核の脅威を、核兵器使用や原子力発電の問題にとどめず、いまあらたに世界全体を巻き込んでいる全体主義の問題としても受け止めねばならない。絶望することなく、いかにして世界への希望や信頼を失わずにいられるのか。その徹底的な考察がここにある。 著者について ギュンター・アンダース (Gunther Anders) 1902年ブレスラウに生まれる(本名はギュンター・シュテルン)。フッサールのもとで哲学を学び、学位取得後パリやベルリンで哲学にかんする論文を書くとともにジャーナリストとして評論活動を行なう。ハンナ・アーレントと結婚し、離婚。1933年パリへ、次いで1936年にアメリカ合衆国へ亡命し、さまざまな仕事につく。とくに工場労働者としての経験は、執筆活動の重要な契機となる。1945年以降、核に反対する活動を積極的に展開し、国際的反核運動の指導者となる。邦訳された著書に、『時代おくれの人間』上下、『世界なき人間:文学・美術論集』、『異端の思想』、『塔からの眺め』(いずれも青木隆嘉訳、法政大学出版局)、『われらはみな、アイヒマンの息子』(岩淵達治訳、晶文社)などがある。アムステルダム亡命文学賞、イタリア・レジスタンス賞、批評家賞、バイエルン美術アカデミー文学賞、オーストリア文化賞、ウィーン出版文化賞、フランクフルト市アドルノ賞などを受賞。1992年12月死去。 青木 隆嘉 1932年福岡県に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(哲学専攻)。大阪女子大学名誉教授。著書:『ニーチェと政治』、『ニーチェを学ぶ人のために』、共著:『実践哲学の現在』(以上、世界思想社)、『過剰としてのプラクシス』(晃洋書房)ほか。訳書:アーレント『思索日記』I・II(レッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞受賞)、カネッティ『蠅の苦しみ:断想』、ブルーメンベルク『神話の変奏』、エリアス『モーツァルト』、『ドイツ人論』、シュトラウス『始まりの喪失』、エーベリング『マルティン・ハイデガー』、ピヒト『ニーチェ』、(以上、法政大学出版局)、クリステヴァ『ハンナ・アーレント講義:新しい世界のために』(論創社)ほか。2016年2月死去。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) アンダース,ギュンター 1902年ブレスラウに生まれる(本名はギュンター・シュテルン)。フッサールのもとで哲学を学び、学位取得後パリやベルリンで哲学にかんする論文を書くとともにジャーナリストとして評論活動を行なう。ハンナ・アーレントと結婚し、離婚。1933年パリへ、次いで1936年にアメリカ合衆国へ亡命し、さまざまな仕事につく。とくに工場労働者としての経験は、執筆活動の重要な契機となる。1945年以降、核に反対する活動を積極的に展開し、国際的反核運動の指導者となる 青木/隆嘉 1932年福岡県に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(哲学専攻)。大阪女子大学名誉教授。訳書:アーレント『思索日記』1・2(レッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞受賞)ほか。2016年2月死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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技術が全体主義を作り上げる。たとえば、一つのボタンを押すだけで核兵器が発射され、一方の陣営の核兵器が発射されるや間髪をいれずに他方の核兵器が発射され、結果として人間の関与が最小の条件でも、地球上の全人類が絶滅する危険がある。その技術システムが、1945年のヒロシマ・ナガサキで出現したが、その後の歴史はそのシステムをさらに拡大し、核兵器の発射を遠隔操作可能な方向に、人がその行為に対して認識も感情も関与しなくても済む方向に発達しつつある。核兵器と原発には本質的な差異はない。片や戦時の姿、他方は平時の姿というだけである。核が全人類の絶滅を対象にしているという包括的な性格を理解せず、二大国間の政治交渉や戦術の道具として、矮小化して「核抑止力」などと認識していることは、「想像力の欠如」の結果でしかない。以下は、読後の感想的意見。今日の安倍政権は、官僚機構を強固にし、原発の内容や核兵器配備を国民の目から隠ぺいし、特定秘密保護法を制定し、解釈改憲という最小限の手続きで軍隊を海外に派兵可能にした。それは、意思決定の場から市民の参加を排除し、独裁者の一存で一国、あるいは全人類の生死を決めることを意味する。ヒロシマへ慰霊に来たはずのオバマ大統領が核のボタンを携えてきたことがその象徴である。
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